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テスト用長文

Posted on 2026年3月4日2026年3月5日

緑という色については、おおらかな印象を抱いていた。目に優しいだとか、心洗われるだとか、爽やかだとかだとかそのようなことだ。鶯丸や江派の印象が強く残っているせいだろうと孔雀は考えながら、深く吸った息を吐いて、ゆっくり目を伏せた。鼻の先に膝丸の顔が見えて、早く誰か帰って来てなんとかしてほしいと切実に思う。

今日は政府の定期監査が入る予定だった。
審神者から時折聞く、そのメンテナンスという単語がある日は近侍とその他数振り以外の刀は顕現を解いて保守保全維持作業に支障が出ないように箱に仕舞われるらしい。
らしい、というのは顕現を解いたあとの記憶がないもので、気がつけばメンテナンスが終わっていて、なんとなく顕現を解いていた気がするだけに留まるからだった。
いつも通り審神者に刀を差し出し、気がつけば見知った室内にいるはずだった。
意識が戻った瞬間孔雀は薄暗い箱の中にいた。膝丸と共に。それも解いたはずの顕現が戻っているとおまけつきで。
顔にかかってきた頭髪の下から困ったような目が視界の端に見えて、そのような目もできたのかと、いささか実感のない感想が滲むように浮かんだ。四方を囲まれているわりに目を凝らせば多少見える。ここがどこだかわからないが、なんらかの行き違いで顕現したままなのだろう。

なにかと髭切のことを口に出すから、膝丸とはこれまでろくに会話をしたことをない。業務上の会話を数度はさめばいい方で、他があるとすれば見かけた髭切の場所を教えるだけ。それも何度したか覚えていない程度のものだった。
「どうしたものかな」
そう口に出してみれば自分の声がくぐもって、狭い箱の中で鈍く鳴る。閉鎖空間特有のこもった音だ。耳を直接ふさぐような違和感のある声は、わたしらしくなく聞こえた。
「今どうなっていて、これからどうなると思う?」
「主に刀を差し出したとおもえばこうだ。見当もつかない」
「そーですよねえ。今点検中ってやつかな」
足と壁に挟まれて伸びている腕を使って所々壁を叩いてみればつるりとした硬く冷たい感触と、低い音だけが聞こえた。
「隣はなさそうだな。薄いのであれば穴をこじあけてもよかったが」
同じようにしていた膝丸は諦めたように細く息を吐いて、こちらを見た。
箱の中に閉じ込められたせいで膝丸の声はくぐもり、反響している。普段よりいくらか低い。
こんな状況でも焦らず騒がず、冷静な判断を下せるこの刀は、演練でよく見る他の本丸とはいくらか毛並みが違う。堂々としているがここまで平坦でいるほどの印象はない。どちらかといえば振り回され、兄弟刀である髭切に名を呼ばれたことに一喜一憂する姿ばかり見かけている。

「でもこの状況で動ける? 多分だけど、帯刀もない」
ごそごそと刀を確認するように膝丸の上半身がわずかに動き、やがてあった場所に位置が戻った。
「……ほとんど動けんな、狭すぎる。これでは顔の位置を変えられるかどうかだ」
最低限の余白だけを残しましたといわんばかりに圧迫感のある壁に四方八方を取り囲まれ、腹這いになってようやくといった、高さがない天井と肘をついて見下ろしてくる男の顔が至近距離にある。膝丸がする呼吸の都度に、肌にあたる生ぬるい呼気と前髪をくすぐるようなこそばゆい感覚。なるべく距離を取ろうとしているのだろう、ぐっと背筋を丸めた膝丸の外套が膝頭に当たった。
「こっちが少し詰める。半身くらいくらいなら入るかも」
「……すまない」
できるかぎり体をずらして膝丸の頭が肩に乗るように位置を調整する。膝丸の体躯に圧迫されながらなんとかかんとか体勢をととのえて辛くない体勢にしても、人ひとり分の余白だろう広さはあまりに窮屈だ。
膝丸が姿勢を崩せばそのまま圧し潰されるに違いない。
「詰めた、腕くらいなら入る?」
「助かる。しかしこのままでは君が辛いのではないか」
「あなたよりまし」
膝丸がわたしの胴の横に腕を差し込み、肘をつくと、お互いの耳のあたりに顔が来るようになって低い声がより近くで聞こえた。
「しばらく耐えてくれ」
顔のすぐ横で喋られればぞわぞわとして落ち着かないが、先のことを思えば違う意味で落ち着かなくなる。

「点検が終わる時間帯覚えてる?」
「はっきりしたことは言えんぞ。頻度も時刻帯も変えているようだったからな」
「二刻で終わらないことは確かだ」
「つまり窮屈でつらくて暇ね」
肘をつく膝丸の腕をちらりと見てから、顔をあげて視線を合わせる。
目があった膝丸が眉を寄せて、口を引き結んだ。
なにか言いたいことがあるのだろうか。膝丸の考えていることはいまいちよくわからない。それもそうだ、普段関わり合いがないに等しい。
「暇つぶしに自己紹介でもしたほうがいいかしら。わたしは孔雀。四本目になっていたかもしれないあなたで、今は抜け殻」
「そのくらい知っている。君は知らないだろうが、義経の刀であったときに君を奥州平泉で見かけたことがある」
「なにそれ」
 膝丸とわたしに接触はないものだと思っていた。
 わたしからすれば、膝丸とのはじめましては仇討ちが行われた藤の巻狩り。膝丸からすれば長らく奉納されていたところから戦場に出て、髭切と兄弟の再会と思えば、己の後釜によくわからないものがいる、ものだと思っていた。ここを深く掘り下げてしまえば小鳥というわたしの行く末だったかもしれない刀が出てくるので深く考えるのはやめた。だれが好きで、膝丸の後釜にと添えられたら長いからと茎を切られた刀に自分を投影しなければならない。冗談ではあるが震えてくる。靴もあるが私は髭切より少しだけ背が高くなる。いやな符号だ。
「まぐれだっただろうな、義経は戦が続いていたうえ、最後は兄弟関係の回復を願い俺を奉納したからな」
「ふうん」
「興味がなさそうだな」
「いやほど知ってるからよ、どれがどれだかわからなくなるくらい」
源氏の名がまだ強かった頃、その力にあやかろうとして全国の無数の刀にその逸話・伝承は仮託された。わたしもそのうちのひとつであるが、悪いことに膝丸の刀身や伝承とわたしの刀が酷似していたことから全部ははじまった、と思う。わたしが奥州で頂いた伝承・逸話は膝丸と比較されるうちに薄れ、膝丸によく似た刀から膝丸そのものに挿げ替えされていった。
 より強い”膝丸”に中身を抜き取られたかのように、”源氏の重宝 膝丸”であった頃はあまりよく覚えていない。きっと彼のどこかにその記憶があるのだろう。刀の大半であったものを抜かれたわたしには膝丸を騙っていたよく似た刀、というそれだけが残った。
ちょうど今いる箱の中のように、暗くてうつろだ。

そのまま黙りこくれば呼吸とわずかな布擦れの音だけが暗闇に響く。いくつか時間は経ったのだろうが何か変わる気配もない。希望論としては主が異変に気付いて早急にここから出してくれるよう願うしか手段がない。
「……なにか話せ。俺は兄者以外とは口をきかん」
「うーん」
無茶ぶりもいいところである。
わたしは膝丸を楽しませるような話の持ち合わせはない。そもそも髭切以外と交流がないようであれば「だからなんだ」というようなものばかりだ。あったとしてもそれは主を介したものだ。
「じゃああなたの普段のこと。なにしてるの?」
そういえば語尾が意外そうに跳ねた。
「俺のこと? そうさなぁ……兄者はよく俺を褒めてくれるぞ」
「へえ、すごいね」
「……本当にわかっているのか?」
「わかってないけど、あなたが言うんだから本当なんでしょう」
「適当だな君は」
「悪いけどいつもこうだから」
「……」
「なんかごめん?」
膝丸の表情が険しくなるので素直に謝った。
「別に怒ってはいない」
膝丸は肘の位置を下にずらすと肘と壁に寄り掛かるようにした。

「俺は……そうだな、時折主に随伴して君のような小さな童をあやしている」
「こどもじゃないんだけど」
「似たようなものだ。人の子は小さいぞ」
「むかつく」
「はっ、怒るのは図星の証拠だ。それにしても、この体勢だと君の匂いがよくわかるな」
膝丸がすんと鼻を鳴らす。すぅと呼吸する膝丸の息はわずかばかりに早い。
「え、なに。汗臭いとか言わないでよね」
「言わん」
思いもしていなかったことで考えていなかったが、膝丸からは落ち着いた香りがした。狭くて出口の見当たらない場所だからだろうか、ここの場所は最初よりずいぶん温度が高くなったように感じる。だからか蒸気するように膝丸の香木のようなにおいは感じ取れた。
体臭ではないだろう。それに香を焚く刀は多い。三日月や歌仙しかりだ。香を焚くものがおおければ存外香りは混じっていそうなものだが、すんと冬場の寒さに似た冷たさと薄炭のようなにおいは混じりけなく膝丸らしさをみた。
薄緑というよりも、黒の方が似合いそうだ。
膝丸にはあまり適応されない。色の印象の話だ。わたしも人のことを言えない顔つきであるのは重々承知ではあるが、膝丸も爽やかで温かみのあるような顔つきではない。
色だけでいえば膝丸には清涼感がある。清涼感を突き詰めすぎて澄み切った空気感は冷たさを運ぶようであったが。

髭切に温厚な部分を全部吸い取られたのかもしれないと思う程度には荒っぽいときがある。手合わせの時など仇のような目で見られる。男神としてみればそうであろうな、と納得できるがいささか角が立っている。
「ねえ」
「どうした」
「わたしたちずっとここにいるわけだけど、いつになったら出るのかしら」
「知らん」
ため息にしては鋭い息をする膝丸の呼気は荒い。単純に暑いのだろう。じっとしているだけのわたしの背中にも、汗が背筋を伝うような感覚があった。息も苦しいような気がする。圧迫感でそう感じていただけと流してはいたが、密閉されているのだとしたら話は違ってくる。

「もしかしてだけれど最初より苦しくない?」
「多少だが……」
膝丸が肯定するとわたしは背筋の汗が氷のように感じた。
「早く出ないと。ここから、絶対」
「なぜだ」
「密閉された場所で窒息死なんて無理」
壁に寄り掛かっている膝丸の頭を、無理やり広げた腕で抱えて自分に押し付ける。抵抗しようとした膝丸の体重が肋骨にかかって、うっと息が詰まるのを耐える。苦しいがそうも言ってられない。
「なにを――!」
「会話は控えて。いい? 低いところで息をして。ゆっくり。落ち着いて。最悪ならもう長く持たない」
意識を失い、刀に戻れれば御の字だが帯刀してないことを考えれば刀に戻る可能性は未知だ。
期待するだけだ。わたしは膝丸の頭を離すと、自分の首元に押し付けるようにした。
膝丸はこれまでの体制がキツかったのか、完全に脱力してわたしの胸辺りに耳を押し当てている。首元で充満する膝丸の吐息は熱かった。
わたしは膝丸の首元のシャツをできるかぎり緩めてやる。首巻を外すべきだったろうが、そんな余白はこの箱には残っていない。
膝丸の呼吸が少しだけゆるやかになったのを確認して、自身の装甲もできる限り緩めた。
箱の中は相変わらず暗く、時間の流れがあいまいだ。
暗闇の中、聞こえる音は膝丸の荒い息遣いだけだった。
ふいに膝丸が顔を上げたのか、胸元の重さが移動する。
「……す、まない、重い……だろう」
「だ……じょう」
大丈夫ではない。
会話を控えて、という返答をするのも億劫になりはじめていて、頭がぼうとする。キーンと鼓膜をつんざくような大きい耳鳴りが鳴りやまず、手足の感覚が重くなる。
なにか話しているはずの膝丸の声が遠くなっていった。視界が狭くなり、狭まった視野にぼんやりとなにかが見えてくる。あれはなんだっけ。ああそうだ、執務室の天井だ。
どこか冷静になっていく頭で考えながら、わたしはゆっくりと目を閉じた。

「ね……! ほん……に! ご……ごめんね~~!!」
耳鳴りではなく、けたたましい叫び声のようなものが聞こえた。
音の鳴る方に顔を寄せれば、主がわたしの腕を手に取りべそをかいているのが見えた。
「……あ」
「よかったぁぁ!! ほんとうによかったよぉおお!! 死ぬところだったんだからねぇえ!?」
「うるさ……」
「だってぇえ! なんでこんなことになってんのぉお!?」
「保全、終わったの……?」
「いきなりバグりちらかすし行方不明の奴はいるし場所はわかるのに帰ってこないし、んなもん中止して元に戻すのに、時間がかかって……かかっちゃってごめんね~~!!どっか痛くない?」
「別に……」
「よかったーーー!!!」
「あの、ちょっと」
「うん、うん、どうしたの? なにかほしいものでもあるの?!」
わたしは腕をつかんでくる主の手を離して起き上がる。特になんともない。外套は脱がされているようで少し身軽な服装になっていた。場所は執務室横の所謂、近似部屋に布団が敷いてあって、そこに寝かされていたようだった。
「ねえ、わたしどれくらい眠ってた?」
「えっと、一時間半だよ」
「そう」
「ふたりがいないことは初めのほうから気づいてたんだけど対処がわからなくて、ふたりとも意識なくて、それで……!」
「そう。わたしはいいけど重宝様は?」
「俺のことならなんともないぞ」

わたしと同じく外套を脱ぎ、少し軽い装いになった膝丸が廊下側から顔を出してゆっくり部屋に入った。
襟は整えられ、首巻は巻きなおしたのか乱れてはいなかった。片手には本体を握っている。

「そ、元気そうで何よりね」
「よくないんだよ!!」
わたしと膝丸は同時に主に顔を向けて、主は困ったように眉を下げては怒り、でも笑っている。
「どうしてこうなったかわかってるの?」
「うぅん……それが、まだわからないんだ。本当に。ただ、普段、眠らせておく箱の中で何かあったみたいで……膝丸の刀も、なんかすごいひび入っちゃってたし、ここで変なことになってたことについては説明ができない。ごめん」
 しゅんと縮こまる主が申し訳なさそうに頭を垂れると、膝丸がその頭をぽんと撫でるように叩いた。
 
「早急に手入れとかは行ったけど、人の身についての違和感についてはふたり自身で気づいてもらえないとわからない。現状に問題があったら教えて」
 わたしは自分の横に置かれた刀に触れる。いつものように手に馴染むそれは、確かに刀としての感触があった。
 鞘から軽く抜いてみたが、特に問題はなさそうであった。
「大丈夫そう」
「……わかった。とりあえず、ふたりにはしばらく近侍についてもらうことにする。いいよね? 膝丸」
「ああ。かまわない」
 普段近似を任されることが多いのは膝丸だ。他の刀が近似を担うこともあるがふたりには深い付き合いがある。
「え、なんで」
「え、だって、またいなくなったら怖いじゃん」
「まあ、そうね」
 気がついたら見知らぬ箱の中に詰め込まれるのは刀の時だけでいい。人の身ではあまりに苦しい。
「それに、今回はバグのせいとはいえ、あんまりにも危ないことだから。しばらくは本丸内で大人しくしてること! ……ほんとは内番も控えたいくらいだけど、流石にそこまで言うのは酷かな」
膝丸がわたしを見て、わたしが膝丸を見る。
目線があって、どちらともなくそらしてしまった。
わたしは刀を鞘に戻して、布団の横に置いた。
主はそんなわたしたちをみて、満足気に微笑んでいた。
それからというもの、わたしと膝丸はなるべく一緒に行動するようにしていた。
というのも、この身体の異変に気づいたとき、近くにいたのが膝丸だったというだけの話なのだが。緑という色については、おおらかな印象を抱いていた。目に優しいだとか、心洗われるだとか、爽やかだとかだとかそのようなことだ。鶯丸や江派の印象が強く残っているせいだろうと孔雀は考えながら、深く吸った息を吐いて、ゆっくり目を伏せた。鼻の先に膝丸の顔が見えて、早く誰か帰って来てなんとかしてほしいと切実に思う。

今日は政府の定期監査が入る予定だった。
審神者から時折聞く、そのメンテナンスという単語がある日は近侍とその他数振り以外の刀は顕現を解いて保守保全維持作業に支障が出ないように箱に仕舞われるらしい。
らしい、というのは顕現を解いたあとの記憶がないもので、気がつけばメンテナンスが終わっていて、なんとなく顕現を解いていた気がするだけに留まるからだった。
いつも通り審神者に刀を差し出し、気がつけば見知った室内にいるはずだった。
意識が戻った瞬間孔雀は薄暗い箱の中にいた。膝丸と共に。それも解いたはずの顕現が戻っているとおまけつきで。
顔にかかってきた頭髪の下から困ったような目が視界の端に見えて、そのような目もできたのかと、いささか実感のない感想が滲むように浮かんだ。四方を囲まれているわりに目を凝らせば多少見える。ここがどこだかわからないが、なんらかの行き違いで顕現したままなのだろう。

なにかと髭切のことを口に出すから、膝丸とはこれまでろくに会話をしたことをない。業務上の会話を数度はさめばいい方で、他があるとすれば見かけた髭切の場所を教えるだけ。それも何度したか覚えていない程度のものだった。
「どうしたものかな」
そう口に出してみれば自分の声がくぐもって、狭い箱の中で鈍く鳴る。閉鎖空間特有のこもった音だ。耳を直接ふさぐような違和感のある声は、わたしらしくなく聞こえた。
「今どうなっていて、これからどうなると思う?」
「主に刀を差し出したとおもえばこうだ。見当もつかない」
「そーですよねえ。今点検中ってやつかな」
足と壁に挟まれて伸びている腕を使って所々壁を叩いてみればつるりとした硬く冷たい感触と、低い音だけが聞こえた。
「隣はなさそうだな。薄いのであれば穴をこじあけてもよかったが」
同じようにしていた膝丸は諦めたように細く息を吐いて、こちらを見た。
箱の中に閉じ込められたせいで膝丸の声はくぐもり、反響している。普段よりいくらか低い。
こんな状況でも焦らず騒がず、冷静な判断を下せるこの刀は、演練でよく見る他の本丸とはいくらか毛並みが違う。堂々としているがここまで平坦でいるほどの印象はない。どちらかといえば振り回され、兄弟刀である髭切に名を呼ばれたことに一喜一憂する姿ばかり見かけている。

「でもこの状況で動ける? 多分だけど、帯刀もない」
ごそごそと刀を確認するように膝丸の上半身がわずかに動き、やがてあった場所に位置が戻った。
「……ほとんど動けんな、狭すぎる。これでは顔の位置を変えられるかどうかだ」
最低限の余白だけを残しましたといわんばかりに圧迫感のある壁に四方八方を取り囲まれ、腹這いになってようやくといった、高さがない天井と肘をついて見下ろしてくる男の顔が至近距離にある。膝丸がする呼吸の都度に、肌にあたる生ぬるい呼気と前髪をくすぐるようなこそばゆい感覚。なるべく距離を取ろうとしているのだろう、ぐっと背筋を丸めた膝丸の外套が膝頭に当たった。
「こっちが少し詰める。半身くらいくらいなら入るかも」
「……すまない」
できるかぎり体をずらして膝丸の頭が肩に乗るように位置を調整する。膝丸の体躯に圧迫されながらなんとかかんとか体勢をととのえて辛くない体勢にしても、人ひとり分の余白だろう広さはあまりに窮屈だ。
膝丸が姿勢を崩せばそのまま圧し潰されるに違いない。
「詰めた、腕くらいなら入る?」
「助かる。しかしこのままでは君が辛いのではないか」
「あなたよりまし」
膝丸がわたしの胴の横に腕を差し込み、肘をつくと、お互いの耳のあたりに顔が来るようになって低い声がより近くで聞こえた。
「しばらく耐えてくれ」
顔のすぐ横で喋られればぞわぞわとして落ち着かないが、先のことを思えば違う意味で落ち着かなくなる。

「点検が終わる時間帯覚えてる?」
「はっきりしたことは言えんぞ。頻度も時刻帯も変えているようだったからな」
「二刻で終わらないことは確かだ」
「つまり窮屈でつらくて暇ね」
肘をつく膝丸の腕をちらりと見てから、顔をあげて視線を合わせる。
目があった膝丸が眉を寄せて、口を引き結んだ。
なにか言いたいことがあるのだろうか。膝丸の考えていることはいまいちよくわからない。それもそうだ、普段関わり合いがないに等しい。
「暇つぶしに自己紹介でもしたほうがいいかしら。わたしは孔雀。四本目になっていたかもしれないあなたで、今は抜け殻」
「そのくらい知っている。君は知らないだろうが、義経の刀であったときに君を奥州平泉で見かけたことがある」
「なにそれ」
 膝丸とわたしに接触はないものだと思っていた。
 わたしからすれば、膝丸とのはじめましては仇討ちが行われた藤の巻狩り。膝丸からすれば長らく奉納されていたところから戦場に出て、髭切と兄弟の再会と思えば、己の後釜によくわからないものがいる、ものだと思っていた。ここを深く掘り下げてしまえば小鳥というわたしの行く末だったかもしれない刀が出てくるので深く考えるのはやめた。だれが好きで、膝丸の後釜にと添えられたら長いからと茎を切られた刀に自分を投影しなければならない。冗談ではあるが震えてくる。靴もあるが私は髭切より少しだけ背が高くなる。いやな符号だ。
「まぐれだっただろうな、義経は戦が続いていたうえ、最後は兄弟関係の回復を願い俺を奉納したからな」
「ふうん」
「興味がなさそうだな」
「いやほど知ってるからよ、どれがどれだかわからなくなるくらい」
源氏の名がまだ強かった頃、その力にあやかろうとして全国の無数の刀にその逸話・伝承は仮託された。わたしもそのうちのひとつであるが、悪いことに膝丸の刀身や伝承とわたしの刀が酷似していたことから全部ははじまった、と思う。わたしが奥州で頂いた伝承・逸話は膝丸と比較されるうちに薄れ、膝丸によく似た刀から膝丸そのものに挿げ替えされていった。
 より強い”膝丸”に中身を抜き取られたかのように、”源氏の重宝 膝丸”であった頃はあまりよく覚えていない。きっと彼のどこかにその記憶があるのだろう。刀の大半であったものを抜かれたわたしには膝丸を騙っていたよく似た刀、というそれだけが残った。
ちょうど今いる箱の中のように、暗くてうつろだ。

そのまま黙りこくれば呼吸とわずかな布擦れの音だけが暗闇に響く。いくつか時間は経ったのだろうが何か変わる気配もない。希望論としては主が異変に気付いて早急にここから出してくれるよう願うしか手段がない。
「……なにか話せ。俺は兄者以外とは口をきかん」
「うーん」
無茶ぶりもいいところである。
わたしは膝丸を楽しませるような話の持ち合わせはない。そもそも髭切以外と交流がないようであれば「だからなんだ」というようなものばかりだ。あったとしてもそれは主を介したものだ。
「じゃああなたの普段のこと。なにしてるの?」
そういえば語尾が意外そうに跳ねた。
「俺のこと? そうさなぁ……兄者はよく俺を褒めてくれるぞ」
「へえ、すごいね」
「……本当にわかっているのか?」
「わかってないけど、あなたが言うんだから本当なんでしょう」
「適当だな君は」
「悪いけどいつもこうだから」
「……」
「なんかごめん?」
膝丸の表情が険しくなるので素直に謝った。
「別に怒ってはいない」
膝丸は肘の位置を下にずらすと肘と壁に寄り掛かるようにした。

「俺は……そうだな、時折主に随伴して君のような小さな童をあやしている」
「こどもじゃないんだけど」
「似たようなものだ。人の子は小さいぞ」
「むかつく」
「はっ、怒るのは図星の証拠だ。それにしても、この体勢だと君の匂いがよくわかるな」
膝丸がすんと鼻を鳴らす。すぅと呼吸する膝丸の息はわずかばかりに早い。
「え、なに。汗臭いとか言わないでよね」
「言わん」
思いもしていなかったことで考えていなかったが、膝丸からは落ち着いた香りがした。狭くて出口の見当たらない場所だからだろうか、ここの場所は最初よりずいぶん温度が高くなったように感じる。だからか蒸気するように膝丸の香木のようなにおいは感じ取れた。
体臭ではないだろう。それに香を焚く刀は多い。三日月や歌仙しかりだ。香を焚くものがおおければ存外香りは混じっていそうなものだが、すんと冬場の寒さに似た冷たさと薄炭のようなにおいは混じりけなく膝丸らしさをみた。
薄緑というよりも、黒の方が似合いそうだ。
膝丸にはあまり適応されない。色の印象の話だ。わたしも人のことを言えない顔つきであるのは重々承知ではあるが、膝丸も爽やかで温かみのあるような顔つきではない。
色だけでいえば膝丸には清涼感がある。清涼感を突き詰めすぎて澄み切った空気感は冷たさを運ぶようであったが。

髭切に温厚な部分を全部吸い取られたのかもしれないと思う程度には荒っぽいときがある。手合わせの時など仇のような目で見られる。男神としてみればそうであろうな、と納得できるがいささか角が立っている。
「ねえ」
「どうした」
「わたしたちずっとここにいるわけだけど、いつになったら出るのかしら」
「知らん」
ため息にしては鋭い息をする膝丸の呼気は荒い。単純に暑いのだろう。じっとしているだけのわたしの背中にも、汗が背筋を伝うような感覚があった。息も苦しいような気がする。圧迫感でそう感じていただけと流してはいたが、密閉されているのだとしたら話は違ってくる。

「もしかしてだけれど最初より苦しくない?」
「多少だが……」
膝丸が肯定するとわたしは背筋の汗が氷のように感じた。
「早く出ないと。ここから、絶対」
「なぜだ」
「密閉された場所で窒息死なんて無理」
壁に寄り掛かっている膝丸の頭を、無理やり広げた腕で抱えて自分に押し付ける。抵抗しようとした膝丸の体重が肋骨にかかって、うっと息が詰まるのを耐える。苦しいがそうも言ってられない。
「なにを――!」
「会話は控えて。いい? 低いところで息をして。ゆっくり。落ち着いて。最悪ならもう長く持たない」
意識を失い、刀に戻れれば御の字だが帯刀してないことを考えれば刀に戻る可能性は未知だ。
期待するだけだ。わたしは膝丸の頭を離すと、自分の首元に押し付けるようにした。
膝丸はこれまでの体制がキツかったのか、完全に脱力してわたしの胸辺りに耳を押し当てている。首元で充満する膝丸の吐息は熱かった。
わたしは膝丸の首元のシャツをできるかぎり緩めてやる。首巻を外すべきだったろうが、そんな余白はこの箱には残っていない。
膝丸の呼吸が少しだけゆるやかになったのを確認して、自身の装甲もできる限り緩めた。
箱の中は相変わらず暗く、時間の流れがあいまいだ。
暗闇の中、聞こえる音は膝丸の荒い息遣いだけだった。
ふいに膝丸が顔を上げたのか、胸元の重さが移動する。
「……す、まない、重い……だろう」
「だ……じょう」
大丈夫ではない。
会話を控えて、という返答をするのも億劫になりはじめていて、頭がぼうとする。キーンと鼓膜をつんざくような大きい耳鳴りが鳴りやまず、手足の感覚が重くなる。
なにか話しているはずの膝丸の声が遠くなっていった。視界が狭くなり、狭まった視野にぼんやりとなにかが見えてくる。あれはなんだっけ。ああそうだ、執務室の天井だ。
どこか冷静になっていく頭で考えながら、わたしはゆっくりと目を閉じた。

「ね……! ほん……に! ご……ごめんね~~!!」
耳鳴りではなく、けたたましい叫び声のようなものが聞こえた。
音の鳴る方に顔を寄せれば、主がわたしの腕を手に取りべそをかいているのが見えた。
「……あ」
「よかったぁぁ!! ほんとうによかったよぉおお!! 死ぬところだったんだからねぇえ!?」
「うるさ……」
「だってぇえ! なんでこんなことになってんのぉお!?」
「保全、終わったの……?」
「いきなりバグりちらかすし行方不明の奴はいるし場所はわかるのに帰ってこないし、んなもん中止して元に戻すのに、時間がかかって……かかっちゃってごめんね~~!!どっか痛くない?」
「別に……」
「よかったーーー!!!」
「あの、ちょっと」
「うん、うん、どうしたの? なにかほしいものでもあるの?!」
わたしは腕をつかんでくる主の手を離して起き上がる。特になんともない。外套は脱がされているようで少し身軽な服装になっていた。場所は執務室横の所謂、近似部屋に布団が敷いてあって、そこに寝かされていたようだった。
「ねえ、わたしどれくらい眠ってた?」
「えっと、一時間半だよ」
「そう」
「ふたりがいないことは初めのほうから気づいてたんだけど対処がわからなくて、ふたりとも意識なくて、それで……!」
「そう。わたしはいいけど重宝様は?」
「俺のことならなんともないぞ」

わたしと同じく外套を脱ぎ、少し軽い装いになった膝丸が廊下側から顔を出してゆっくり部屋に入った。
襟は整えられ、首巻は巻きなおしたのか乱れてはいなかった。片手には本体を握っている。

「そ、元気そうで何よりね」
「よくないんだよ!!」
わたしと膝丸は同時に主に顔を向けて、主は困ったように眉を下げては怒り、でも笑っている。
「どうしてこうなったかわかってるの?」
「うぅん……それが、まだわからないんだ。本当に。ただ、普段、眠らせておく箱の中で何かあったみたいで……膝丸の刀も、なんかすごいひび入っちゃってたし、ここで変なことになってたことについては説明ができない。ごめん」
 しゅんと縮こまる主が申し訳なさそうに頭を垂れると、膝丸がその頭をぽんと撫でるように叩いた。
 
「早急に手入れとかは行ったけど、人の身についての違和感についてはふたり自身で気づいてもらえないとわからない。現状に問題があったら教えて」
 わたしは自分の横に置かれた刀に触れる。いつものように手に馴染むそれは、確かに刀としての感触があった。
 鞘から軽く抜いてみたが、特に問題はなさそうであった。
「大丈夫そう」
「……わかった。とりあえず、ふたりにはしばらく近侍についてもらうことにする。いいよね? 膝丸」
「ああ。かまわない」
 普段近似を任されることが多いのは膝丸だ。他の刀が近似を担うこともあるがふたりには深い付き合いがある。
「え、なんで」
「え、だって、またいなくなったら怖いじゃん」
「まあ、そうね」
 気がついたら見知らぬ箱の中に詰め込まれるのは刀の時だけでいい。人の身ではあまりに苦しい。
「それに、今回はバグのせいとはいえ、あんまりにも危ないことだから。しばらくは本丸内で大人しくしてること! ……ほんとは内番も控えたいくらいだけど、流石にそこまで言うのは酷かな」
膝丸がわたしを見て、わたしが膝丸を見る。
目線があって、どちらともなくそらしてしまった。
わたしは刀を鞘に戻して、布団の横に置いた。
主はそんなわたしたちをみて、満足気に微笑んでいた。
それからというもの、わたしと膝丸はなるべく一緒に行動するようにしていた。
というのも、この身体の異変に気づいたとき、近くにいたのが膝丸だったというだけの話なのだが。

緑という色については、おおらかな印象を抱いていた。目に優しいだとか、心洗われるだとか、爽やかだとかだとかそのようなことだ。鶯丸や江派の印象が強く残っているせいだろうと孔雀は考えながら、深く吸った息を吐いて、ゆっくり目を伏せた。鼻の先に膝丸の顔が見えて、早く誰か帰って来てなんとかしてほしいと切実に思う。

今日は政府の定期監査が入る予定だった。
審神者から時折聞く、そのメンテナンスという単語がある日は近侍とその他数振り以外の刀は顕現を解いて保守保全維持作業に支障が出ないように箱に仕舞われるらしい。
らしい、というのは顕現を解いたあとの記憶がないもので、気がつけばメンテナンスが終わっていて、なんとなく顕現を解いていた気がするだけに留まるからだった。
いつも通り審神者に刀を差し出し、気がつけば見知った室内にいるはずだった。
意識が戻った瞬間孔雀は薄暗い箱の中にいた。膝丸と共に。それも解いたはずの顕現が戻っているとおまけつきで。
顔にかかってきた頭髪の下から困ったような目が視界の端に見えて、そのような目もできたのかと、いささか実感のない感想が滲むように浮かんだ。四方を囲まれているわりに目を凝らせば多少見える。ここがどこだかわからないが、なんらかの行き違いで顕現したままなのだろう。

なにかと髭切のことを口に出すから、膝丸とはこれまでろくに会話をしたことをない。業務上の会話を数度はさめばいい方で、他があるとすれば見かけた髭切の場所を教えるだけ。それも何度したか覚えていない程度のものだった。
「どうしたものかな」
そう口に出してみれば自分の声がくぐもって、狭い箱の中で鈍く鳴る。閉鎖空間特有のこもった音だ。耳を直接ふさぐような違和感のある声は、わたしらしくなく聞こえた。
「今どうなっていて、これからどうなると思う?」
「主に刀を差し出したとおもえばこうだ。見当もつかない」
「そーですよねえ。今点検中ってやつかな」
足と壁に挟まれて伸びている腕を使って所々壁を叩いてみればつるりとした硬く冷たい感触と、低い音だけが聞こえた。
「隣はなさそうだな。薄いのであれば穴をこじあけてもよかったが」
同じようにしていた膝丸は諦めたように細く息を吐いて、こちらを見た。
箱の中に閉じ込められたせいで膝丸の声はくぐもり、反響している。普段よりいくらか低い。
こんな状況でも焦らず騒がず、冷静な判断を下せるこの刀は、演練でよく見る他の本丸とはいくらか毛並みが違う。堂々としているがここまで平坦でいるほどの印象はない。どちらかといえば振り回され、兄弟刀である髭切に名を呼ばれたことに一喜一憂する姿ばかり見かけている。

「でもこの状況で動ける? 多分だけど、帯刀もない」
ごそごそと刀を確認するように膝丸の上半身がわずかに動き、やがてあった場所に位置が戻った。
「……ほとんど動けんな、狭すぎる。これでは顔の位置を変えられるかどうかだ」
最低限の余白だけを残しましたといわんばかりに圧迫感のある壁に四方八方を取り囲まれ、腹這いになってようやくといった、高さがない天井と肘をついて見下ろしてくる男の顔が至近距離にある。膝丸がする呼吸の都度に、肌にあたる生ぬるい呼気と前髪をくすぐるようなこそばゆい感覚。なるべく距離を取ろうとしているのだろう、ぐっと背筋を丸めた膝丸の外套が膝頭に当たった。
「こっちが少し詰める。半身くらいくらいなら入るかも」
「……すまない」
できるかぎり体をずらして膝丸の頭が肩に乗るように位置を調整する。膝丸の体躯に圧迫されながらなんとかかんとか体勢をととのえて辛くない体勢にしても、人ひとり分の余白だろう広さはあまりに窮屈だ。
膝丸が姿勢を崩せばそのまま圧し潰されるに違いない。
「詰めた、腕くらいなら入る?」
「助かる。しかしこのままでは君が辛いのではないか」
「あなたよりまし」
膝丸がわたしの胴の横に腕を差し込み、肘をつくと、お互いの耳のあたりに顔が来るようになって低い声がより近くで聞こえた。
「しばらく耐えてくれ」
顔のすぐ横で喋られればぞわぞわとして落ち着かないが、先のことを思えば違う意味で落ち着かなくなる。

「点検が終わる時間帯覚えてる?」
「はっきりしたことは言えんぞ。頻度も時刻帯も変えているようだったからな」
「二刻で終わらないことは確かだ」
「つまり窮屈でつらくて暇ね」
肘をつく膝丸の腕をちらりと見てから、顔をあげて視線を合わせる。
目があった膝丸が眉を寄せて、口を引き結んだ。
なにか言いたいことがあるのだろうか。膝丸の考えていることはいまいちよくわからない。それもそうだ、普段関わり合いがないに等しい。
「暇つぶしに自己紹介でもしたほうがいいかしら。わたしは孔雀。四本目になっていたかもしれないあなたで、今は抜け殻」
「そのくらい知っている。君は知らないだろうが、義経の刀であったときに君を奥州平泉で見かけたことがある」
「なにそれ」
 膝丸とわたしに接触はないものだと思っていた。
 わたしからすれば、膝丸とのはじめましては仇討ちが行われた藤の巻狩り。膝丸からすれば長らく奉納されていたところから戦場に出て、髭切と兄弟の再会と思えば、己の後釜によくわからないものがいる、ものだと思っていた。ここを深く掘り下げてしまえば小鳥というわたしの行く末だったかもしれない刀が出てくるので深く考えるのはやめた。だれが好きで、膝丸の後釜にと添えられたら長いからと茎を切られた刀に自分を投影しなければならない。冗談ではあるが震えてくる。靴もあるが私は髭切より少しだけ背が高くなる。いやな符号だ。
「まぐれだっただろうな、義経は戦が続いていたうえ、最後は兄弟関係の回復を願い俺を奉納したからな」
「ふうん」
「興味がなさそうだな」
「いやほど知ってるからよ、どれがどれだかわからなくなるくらい」
源氏の名がまだ強かった頃、その力にあやかろうとして全国の無数の刀にその逸話・伝承は仮託された。わたしもそのうちのひとつであるが、悪いことに膝丸の刀身や伝承とわたしの刀が酷似していたことから全部ははじまった、と思う。わたしが奥州で頂いた伝承・逸話は膝丸と比較されるうちに薄れ、膝丸によく似た刀から膝丸そのものに挿げ替えされていった。
 より強い”膝丸”に中身を抜き取られたかのように、”源氏の重宝 膝丸”であった頃はあまりよく覚えていない。きっと彼のどこかにその記憶があるのだろう。刀の大半であったものを抜かれたわたしには膝丸を騙っていたよく似た刀、というそれだけが残った。
ちょうど今いる箱の中のように、暗くてうつろだ。

そのまま黙りこくれば呼吸とわずかな布擦れの音だけが暗闇に響く。いくつか時間は経ったのだろうが何か変わる気配もない。希望論としては主が異変に気付いて早急にここから出してくれるよう願うしか手段がない。
「……なにか話せ。俺は兄者以外とは口をきかん」
「うーん」
無茶ぶりもいいところである。
わたしは膝丸を楽しませるような話の持ち合わせはない。そもそも髭切以外と交流がないようであれば「だからなんだ」というようなものばかりだ。あったとしてもそれは主を介したものだ。
「じゃああなたの普段のこと。なにしてるの?」
そういえば語尾が意外そうに跳ねた。
「俺のこと? そうさなぁ……兄者はよく俺を褒めてくれるぞ」
「へえ、すごいね」
「……本当にわかっているのか?」
「わかってないけど、あなたが言うんだから本当なんでしょう」
「適当だな君は」
「悪いけどいつもこうだから」
「……」
「なんかごめん?」
膝丸の表情が険しくなるので素直に謝った。
「別に怒ってはいない」
膝丸は肘の位置を下にずらすと肘と壁に寄り掛かるようにした。

「俺は……そうだな、時折主に随伴して君のような小さな童をあやしている」
「こどもじゃないんだけど」
「似たようなものだ。人の子は小さいぞ」
「むかつく」
「はっ、怒るのは図星の証拠だ。それにしても、この体勢だと君の匂いがよくわかるな」
膝丸がすんと鼻を鳴らす。すぅと呼吸する膝丸の息はわずかばかりに早い。
「え、なに。汗臭いとか言わないでよね」
「言わん」
思いもしていなかったことで考えていなかったが、膝丸からは落ち着いた香りがした。狭くて出口の見当たらない場所だからだろうか、ここの場所は最初よりずいぶん温度が高くなったように感じる。だからか蒸気するように膝丸の香木のようなにおいは感じ取れた。
体臭ではないだろう。それに香を焚く刀は多い。三日月や歌仙しかりだ。香を焚くものがおおければ存外香りは混じっていそうなものだが、すんと冬場の寒さに似た冷たさと薄炭のようなにおいは混じりけなく膝丸らしさをみた。
薄緑というよりも、黒の方が似合いそうだ。
膝丸にはあまり適応されない。色の印象の話だ。わたしも人のことを言えない顔つきであるのは重々承知ではあるが、膝丸も爽やかで温かみのあるような顔つきではない。
色だけでいえば膝丸には清涼感がある。清涼感を突き詰めすぎて澄み切った空気感は冷たさを運ぶようであったが。

髭切に温厚な部分を全部吸い取られたのかもしれないと思う程度には荒っぽいときがある。手合わせの時など仇のような目で見られる。男神としてみればそうであろうな、と納得できるがいささか角が立っている。
「ねえ」
「どうした」
「わたしたちずっとここにいるわけだけど、いつになったら出るのかしら」
「知らん」
ため息にしては鋭い息をする膝丸の呼気は荒い。単純に暑いのだろう。じっとしているだけのわたしの背中にも、汗が背筋を伝うような感覚があった。息も苦しいような気がする。圧迫感でそう感じていただけと流してはいたが、密閉されているのだとしたら話は違ってくる。

「もしかしてだけれど最初より苦しくない?」
「多少だが……」
膝丸が肯定するとわたしは背筋の汗が氷のように感じた。
「早く出ないと。ここから、絶対」
「なぜだ」
「密閉された場所で窒息死なんて無理」
壁に寄り掛かっている膝丸の頭を、無理やり広げた腕で抱えて自分に押し付ける。抵抗しようとした膝丸の体重が肋骨にかかって、うっと息が詰まるのを耐える。苦しいがそうも言ってられない。
「なにを――!」
「会話は控えて。いい? 低いところで息をして。ゆっくり。落ち着いて。最悪ならもう長く持たない」
意識を失い、刀に戻れれば御の字だが帯刀してないことを考えれば刀に戻る可能性は未知だ。
期待するだけだ。わたしは膝丸の頭を離すと、自分の首元に押し付けるようにした。
膝丸はこれまでの体制がキツかったのか、完全に脱力してわたしの胸辺りに耳を押し当てている。首元で充満する膝丸の吐息は熱かった。
わたしは膝丸の首元のシャツをできるかぎり緩めてやる。首巻を外すべきだったろうが、そんな余白はこの箱には残っていない。
膝丸の呼吸が少しだけゆるやかになったのを確認して、自身の装甲もできる限り緩めた。
箱の中は相変わらず暗く、時間の流れがあいまいだ。
暗闇の中、聞こえる音は膝丸の荒い息遣いだけだった。
ふいに膝丸が顔を上げたのか、胸元の重さが移動する。
「……す、まない、重い……だろう」
「だ……じょう」
大丈夫ではない。
会話を控えて、という返答をするのも億劫になりはじめていて、頭がぼうとする。キーンと鼓膜をつんざくような大きい耳鳴りが鳴りやまず、手足の感覚が重くなる。
なにか話しているはずの膝丸の声が遠くなっていった。視界が狭くなり、狭まった視野にぼんやりとなにかが見えてくる。あれはなんだっけ。ああそうだ、執務室の天井だ。
どこか冷静になっていく頭で考えながら、わたしはゆっくりと目を閉じた。

「ね……! ほん……に! ご……ごめんね~~!!」
耳鳴りではなく、けたたましい叫び声のようなものが聞こえた。
音の鳴る方に顔を寄せれば、主がわたしの腕を手に取りべそをかいているのが見えた。
「……あ」
「よかったぁぁ!! ほんとうによかったよぉおお!! 死ぬところだったんだからねぇえ!?」
「うるさ……」
「だってぇえ! なんでこんなことになってんのぉお!?」
「保全、終わったの……?」
「いきなりバグりちらかすし行方不明の奴はいるし場所はわかるのに帰ってこないし、んなもん中止して元に戻すのに、時間がかかって……かかっちゃってごめんね~~!!どっか痛くない?」
「別に……」
「よかったーーー!!!」
「あの、ちょっと」
「うん、うん、どうしたの? なにかほしいものでもあるの?!」
わたしは腕をつかんでくる主の手を離して起き上がる。特になんともない。外套は脱がされているようで少し身軽な服装になっていた。場所は執務室横の所謂、近似部屋に布団が敷いてあって、そこに寝かされていたようだった。
「ねえ、わたしどれくらい眠ってた?」
「えっと、一時間半だよ」
「そう」
「ふたりがいないことは初めのほうから気づいてたんだけど対処がわからなくて、ふたりとも意識なくて、それで……!」
「そう。わたしはいいけど重宝様は?」
「俺のことならなんともないぞ」

わたしと同じく外套を脱ぎ、少し軽い装いになった膝丸が廊下側から顔を出してゆっくり部屋に入った。
襟は整えられ、首巻は巻きなおしたのか乱れてはいなかった。片手には本体を握っている。

「そ、元気そうで何よりね」
「よくないんだよ!!」
わたしと膝丸は同時に主に顔を向けて、主は困ったように眉を下げては怒り、でも笑っている。
「どうしてこうなったかわかってるの?」
「うぅん……それが、まだわからないんだ。本当に。ただ、普段、眠らせておく箱の中で何かあったみたいで……膝丸の刀も、なんかすごいひび入っちゃってたし、ここで変なことになってたことについては説明ができない。ごめん」
 しゅんと縮こまる主が申し訳なさそうに頭を垂れると、膝丸がその頭をぽんと撫でるように叩いた。
 
「早急に手入れとかは行ったけど、人の身についての違和感についてはふたり自身で気づいてもらえないとわからない。現状に問題があったら教えて」
 わたしは自分の横に置かれた刀に触れる。いつものように手に馴染むそれは、確かに刀としての感触があった。
 鞘から軽く抜いてみたが、特に問題はなさそうであった。
「大丈夫そう」
「……わかった。とりあえず、ふたりにはしばらく近侍についてもらうことにする。いいよね? 膝丸」
「ああ。かまわない」
 普段近似を任されることが多いのは膝丸だ。他の刀が近似を担うこともあるがふたりには深い付き合いがある。
「え、なんで」
「え、だって、またいなくなったら怖いじゃん」
「まあ、そうね」
 気がついたら見知らぬ箱の中に詰め込まれるのは刀の時だけでいい。人の身ではあまりに苦しい。
「それに、今回はバグのせいとはいえ、あんまりにも危ないことだから。しばらくは本丸内で大人しくしてること! ……ほんとは内番も控えたいくらいだけど、流石にそこまで言うのは酷かな」
膝丸がわたしを見て、わたしが膝丸を見る。
目線があって、どちらともなくそらしてしまった。
わたしは刀を鞘に戻して、布団の横に置いた。
主はそんなわたしたちをみて、満足気に微笑んでいた。
それからというもの、わたしと膝丸はなるべく一緒に行動するようにしていた。
というのも、この身体の異変に気づいたとき、近くにいたのが膝丸だったというだけの話なのだが。

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