Skip to content
Menu
  • offline
  • サンプルページ

<冬の旅>菩提樹

Posted on 2026年5月2日2026年5月2日
6,152字・11分
城壁の入口の前に1本の菩提樹が立っている。その木陰で私はみた。たくさんの甘い夢を。私はその幹にたくさんの愛の言葉を刻んだ。楽しい時も苦しい時も思い出す。 今日もさらにさ迷わなければならない深い夜の中へ。
#gnsn#アルハイゼン
2026年5月2日

 長い付き合いになるにつれて困るのは誕生日プレゼントだろう。最初は「おめでとう」の一言とともに好き勝手に渡していたのに、年が経つに渡す内容に悩む時間の方が増えていくのはよくある悩みだろう。わたしは今現在進行形でネタ切れで困り果てている。
 これまでの誕生日祝いではブックカバー、万年筆を渡し、その次に本の栞、あとのあたりは何を贈ったかあまり覚えてなくて、去年は二日酔いで痛む頭のような気持ちになりながら面白そうな稀覯本を渡した。

 魘されるほど悩んでいるのはこちらの勝手である。アルハイゼンからは祝って欲しいとか、誕生日にはこれが欲しいといった話をしたことも、されたこともない。むしろ「誕生日に対して皆は必要以上の情熱を使っている」みたいなことを申すような人だ、アルハイゼンという男は。
 とはいっても、彼自身は誕生日についてくる飲み会や贈り物を断固拒否するというようなスタンスな訳でもない。周囲が祝いたいから祝われているくらいの質感だ。
 なので、悩むわけだ。二重三重に。

 食べるものは好みの問題があるから、本人に選んでもらった方がいいし、贈れそうなものがあってもそれは身の回りにのもの━━例えば家具のようなインテリア系だとかなんだとなると、唸ってしまう。
 あの性格通り、機能性重視だろうし、わたしではわからないこだわりがありそうだ。それに彼とは家のインテリアがどうのとまで踏み込んだ関係ではない。
 そこまで頭を悩ませるのならしなくても構わないだろうと彼なら言いそうなものだ。わたしはヤケクソじみた考えになって、現金を渡したほうがなどと考えはじめる瞬間すらある。返礼品にありがちなカタログみたいなやつとか。

 しかし自分より稼いでいる男にそんなものを渡してどうすると言うのだろう。
 一種の先輩後輩関係。あと周囲と含めて縁がある人。ただの友人にするには一緒にいる時間が長くなりすぎがち。当たり障りないけれど、多少の祝いの品となると困ってしまう。

 稀覯本を贈った去年の話をすると、いつも通りに嫌がられも喜ばれもせず「そうか、ありがとう」という言葉と、ロンバスのような赤い瞳孔がつむじの上のほうから降りてきたのを覚えている。
 彼が祝い事に対して喜色満面で喜ぶイメージはわかない。けれど、そのときは妙な心理的ダメージを受けた。勝手でもいいから相手の誕生日を祝いたかった気持ちに下心が芽生えて、喜ばれたいという気持ちに変化していることを自覚したからだった。
 帰って寝台に横になっていると、ジワジワと恥のような気持ちが沸き立ち、枕に額を叩きつけるような思いだった。

 そもそも、欲しいものがあるのなら誰に願わずとも、好きに買えてしまうような人である。物ではなく気持ちとは言い聞かせつつ、数ヶ月前からどうしようかなぁと考えていれば、誕生日まであっという間に残り一ヶ月。
 悩みに悩んで、連日冷やかしで通ったバザールでもランバド酒場でもなく、誕生日目前にしてフラフラと璃月に向かうことにした。

 海灯祭のシーズンだから、普段は出されない骨董市にでも面白い掘り出し物があればいいなという願いだった。
 海灯祭の霄灯に、スネージナヤにもあるあの祭りと白い景色、それと鉄道を思い出して、古市を見回った。夜になるとちらちら光りながら空に登っていく霄灯を、赤い勾欄に寄りかかりながら見上げた。骨董店が船の上でやっていて沈玉の谷に似た雰囲気の石がはめ込まれた恐らく仙具の模型などをみた。
 一泊二日にしては急ぎのスケジュールではあったものの楽しみつくし、そしてスメールに戻って思い出すことがひとつ。

「ところで誕生日プレゼントはみたの?」かと。

 結婚記念日をすっぽかして飲みに出た旦那が、嫁に詰められている修羅場がちょうどいいBGMになって追い立ててくるから、わたしまでそんな気分になっている。贈るつもりの予定に苦しんでいるのは、勝手に自分で選んでいることではある。でも来年も楽しみにしといてみたいなことを言い始めたのをまだ忘れられてないから、どうにもならなくなるまでは悩むしかない。
 璃月から戻る間にこれといった収穫はないまま、わたしはスメールへと戻った。道中地獄の沙汰も金次第な商人とすれ違うこともなかった。
 今持っているのは古びた本がふたつだけだ。たぶん終わりである。

 グランドバザールの入り口を通りかかったところで、運悪く――あるいは、渡さない大義名分を探してる今のわたしにとっては幸いにも――ニィロウに呼び止められた。

 ​「あっ! おかえりなさい、メリア! 璃月の海灯祭はどうだった? 霄灯たくさん飛んでた?」
 ​「ただいま、ニィロウ。今年も賑やかだったよー。あれをみると季節を感じるね」
「霄灯にはお願いをのせるんだっけ?」
「うん、そう。家族が健康出たりますように、とか」
 さきほどまで舞台の練習中だったのだろう、額に微かな汗を浮かべた彼女が、弾むような足取りで駆け寄ってきて柔らかな笑顔を見せてくれる。その屈託のない笑顔を前にすると、情けなくてやや項垂れそうだ。
 ​まさかほとんど手ぶらで帰ってくるとは思わなかった。とはいっても稀覯本がでてきても、どこぞの高給取りとは違うので困るが。

「それどうしたの?」
「え? ……ああ、これは、まあ、その……道すがら見つけた自分用のお土産……? ちょっと面白そうな資料だったから」
 ​脇に抱えた、少しばかり表紙の角が丸まった古本を隠すようにすこし腕を強めた。手書きの民間伝承の資料のように読めたから買ってみたのだが、娯楽小説とか詩文のように見えて隠してしまった。
 スメールは以前ほど、知識や知識以外に対しての強い圧力がある訳じゃない。最近教令院はアーカーシャ端末を停止させて、独占状態にあった知識の共有をするようなり、市場に本が出回るようになった。
 そうなったが、並ぶのはあくまでもそういった知識階級的な本だ。買ってきた本はあまりにも系統が違うとおもわれる。今はアルハイゼンには向かないだろう。

「ふふ、素敵な装丁。……でも、あれ? 何か挟まってるのかな? もしかしてページ折れちゃってない?」
 ​ニィロウの指差した先、ページの合間から、黄ばんだ紙がぴょこんと顔を出していた。自分でも気づかなかった。
 ニィロウが該当するページのあたりを広げてくれると表紙の間から紙が束のように滑り落ちた。
「えっうそ! 壊しちゃったかな? ごめんね!」
「大丈夫だよ。糸綴じで紐なり緩んだんだと思う」
 落ちた紙束を拾おうとニイロウが屈んだたま、紙を眺めているので上から覗き込むと、どこか見覚えのありそうな手書きの、けれど極めて緻密な譜面が躍っていた。

「え、楽譜?」
​「メリア、楽譜買ってきたの?」
「そんなはずは……」
「すごい、見たことのない旋律。……ねえメリア、もしかしてこれ、弾けそう? どんな音がするのか、聞いてみたいな!」
 ​ニィロウの好奇心は、一度火がつくと止まらない。わたしは顔を近づけるほど興奮しているニィロウの勢いに言葉を詰まらせた。

 ニィロウに話の流れで楽器が弾けたことを話したことがあった。教令院にいるあいだのアルバイト代わりに、ランバト酒場などで流しのような真似をしたことがあったと。
 所詮は、かつて嗜んだ程度の腕前だ。プロの楽団の曲を聞き慣れている人にましてや、こんな異国の、それも民間伝承の付録のような曲を人前で披露するなんてと首を振る。

​「いや、そんな。練習もしてないし、初めてみる譜面だし。第一ここはバザールだよ。楽器なんて……」
「大丈夫、ステージの袖に楽器があるよっ! お願い、メリアがこれをどんな風に鳴らすのか、どうしても気になっちゃって」
 ​ 彼女の純粋な期待は、断るための論理を優しく、けれど有無を言わさず押し流した。

 ニィロウとの会話が何往復かして、わたしは「少しだけだよ」と勢いに流されることになった。色んなことを有耶無耶にできそうだなという下心を含んだ為だ。バザールの隅にある楽器の前へと腰を下ろす。

​ 深呼吸をひとつ。指先が冷たい弦に触れ、記憶の底にある指の軽さを、頭の中に蘇らせる。
 一音目、重々しく響いたのは、どこか歩みの停滞を感じさせるような、沈んだ和音だった。

 息を止め続けるような演奏を終えたとき、ニィロウはうっとりと溜息をつき、周囲にいた数人の観客も、何かに打たれたように静まり返ってこちらを見ていた。わたしといえば、冷や汗かなにかで二の腕からこめかみの当たりがぶるりと寒気がはしり、震えたてを膝頭に強く当てた。

「……不思議な曲。なんだか、胸の奥が冷たい風に吹かれてぎゅっと締め付けられるみたい。でも、どこか優しいのに、ずっと寂しいのはあきらめの音だからなのかな」
 ニィロウの感性に、舌を巻きながら「珍しい楽譜だったから寂しそうになっちゃったかも」と曖昧な笑いで返すのが精一杯だった。

 ​それから、数日が過ぎても結局のところ、あの楽譜が挟まっていた本以外に、アルハイゼンの誕生日に渡せそうな品は見つからなかった。
 二月一一日の夜。時刻の数字が明日へ滑り落ちるまで、あと一時間を切った頃。私は何も持ってないことへの焦りと、妙な安心感を同時に感じていた。

 プレゼントは結局なにも買えなかった。

 「おめでとう」の一言だけで済ませてしまえばいいのに、喜んだような顔が見たいからプレゼントを考えることがやめられない。けれど渡せるような現物がない。かといって今さらバザールへ駆け込んでも店は閉まっている。いっそこのまま、寝たふりをして明日を迎えてしまおうか。

「ここに居たのか」
 情けない思考のまま眼下を眺めていると聞き慣れた低い声が後ろの方から聞こえてきた。

「えっ、なんでここにいるの?」
「君を探していた」
「なんで」
「君がここにいて、俺がここに来たいと思った。それ以上に簡潔な理由が必要か?」
「なんて?」
 アルハイゼンはわたしの隣まで歩み寄り、同じように眼下の夜景に視線を落とした。横顔を見ると白い顔に赤みが差している。
「お酒飲んでたの?」
「飲まされたから出て、君を探しに来た。見つけられてよかったよ」
「なんで?」
「さっきから君は聞き返してばかりだな」
​「だって……変なことばかり言うから……」
「変なことなど言っていない。事実を述べているだけだ」
 ​彼はふいと視線を夜景に戻した。隣に立つ彼の肌からは、夜風に混じって微かに酒の香りが漂ってくる。いつもより少しだけ、言葉の端々に温度があるのはそのせいだろうか。語尾が少し上がっているような、上機嫌さがある。
 ​「ニィロウから聞いた。バザールで何やら面白い譜面を弾いていたらしいな」
「あ……うん。璃月で見つけた古本に挟まってたやつ」
「そうか。あいにく俺はその場にいなかった。彼女がそこまで感銘を受ける旋律なら、俺も一度、聴いてみたい」
 ​さらりと言ってのけた言葉に、わたしは不意を突かれた。彼がそんなふうに興味を示すなんて意外だった。嫌いでも好きでもない、耳障りでなければあったらいいかもしれないくらいの感覚しかないものだと思っていた。

 ​「……アルハイゼンが? 意外。もっと、そういうの興味ないと思ってた。本とか、知らない言葉とかしか興味いかないのかなって」
「興味の対象を限定するのは非合理的であるし、好みにその傾向があるというだけだよ」

 そう言って、彼はわたしに向けていたは視線を夜景に戻した。隣に立つ彼の肌からは、夜風に混じって微かに酒の香りが漂ってくる。いつもより少しだけ、言葉の端々に温度があるのはそのせいだろうか。語尾がわずかに上がっているような、隠しきれない上機嫌さがあった。
 ​夜の静寂が二人の間に降りる。スメールシティの夜風は、バザールの喧騒とは違ってどこまでも冷ややかで、だからこそ隣にあるアルハイゼンの体温が、高く感じる。人の気配をこんな近くで感じることはそうない。

 何も用意できなかった後ろめたさと、彼が「聴きたい」と口にした意外な言葉。それらが胸の中で混ざり合って、どうしようもなく居心地が悪い。
 ​わたしは彼から視線を逸らし、手すりを握る手に力を込めて、ようやく喉まで出かかっていた言葉を絞り出した。

「……ええと、あの、誕生日おめでとう。悩みすぎて用意できなかったのでプレゼントはありません」
「ありがとう。そんなとこだろうと思っていた」
「そうなの?」
「だから俺も聞きたい」
 彼はそう言ってわたしの顔を覗き込むと、視界の中でアルハイゼンの真っ直ぐに伸びた背中が緩やかに曲がるのが見えた。
 花緑色の瞳と視線がぶつかる。アルハイゼンは、わたしがどれほど頭を悩ませ、結局何も手にできないままここで途方に暮れていたのかを、とうに見抜いているようだった。
 ​彼にしてみれば、形だけの贈り物なんて最初からどうでもいいのかもしれないし、わたしが悩み抜いた末に「何もありません」と白旗を振ったのならそれでもいいのだろう。今は多分、埋め合わせとして「同じ曲を弾いて」と言っているのだろう。
「ええ……? ……でも、そんな大したものじゃないし」
 ​わたしがなおも食い下がると、アルハイゼンは少しだけ目を細めた。その瞳には、いつもの鋭い論理よりも、もっと静かに煮えるものが宿っているように見える。

 ​「良いか悪いか、あるいはそれが誕生日を祝うに値する大したものかどうか、それを受け取るか決める権利を今の俺から奪わないでほしい」
「……そんなに、聴きたいの?」
 ​思わず素直に問い返すと、アルハイゼンの意外とタレ目の目が少し細まる。すぐに視線を逸らすことなく、至近距離で、静かに、けれどはっきりと頷いた。
 ​「あぁ。聴きたい」
 あまりに迷いのない肯定で驚く。
 いつもなら理屈を並べるはずの彼が、ただ一言、自分の欲求をそのまま口にした。赤みの差した彼の顔が、いつもよりずっと近くにある。少し後ろに下がろうとしたところで、アルハイゼンが顔を少し傾けるようなささいな動作で追いつかれる。

 ​「……君が今日という日のために時間を費やし、結果として何も用意できなかったのなら、納得できる形で清算すればいい。つまり、その演奏が俺への対価になるだろう」
 ​彼はそこで言葉を切り、今度は見慣れた「書記官」らしい動作で懐から一冊の薄い本を取り出した。
​「だが、一方的な要求では君の気が済まないだろう? だからこれは等価交換だ。君は演奏をしてくれた時間分、この本を好きなだけ読めばいい。一般的にはまだ未翻訳のものだ」
「ア」
「みてわかるだろうが煩わしい申請や信用情報審査過程を踏まないと原典を保管している場所にすら入れない区分のものだ。俺直々の翻訳版になる。そう悪い取引ではないはずだが、困ったことに俺の家の金庫保管を条件に写しと翻訳している」
​「……それ、交渉じゃなくて誘惑じゃないの?」
「もちろん誘惑しているんだが」

©2026 | WordPress Theme by Superbthemes.com